亘理では昭和の中頃まで、家族が着るものはその家の女性達が仕立てていました。縫い物が出来るようになると「もう一人前だから嫁に行ける」と言われたそうです。
縫うことは、女性にとって生活の一部だったのです。

「小豆三粒包める布は捨てるな」とされ、端切れは“必ず何かに使う”ものでした。繕いものをはじめ、生地を裂いて織って、「ボロ帯」と呼ばれる生活着や浴衣を着るときに締める帯にしたり、端切れを縫い合わせて袋や布団にしたりしました。

昭和16年頃に、モンペを縫うときに出る三角の端切れを組み合わせて縫ったものだという巾着袋を見せていただきながら、持ち主のおばあさんからこんな話を聞きました。

明治生まれのおばんちゃん(祖母)は、「何でも入れることができて重宝だ」と、端切れがあれば手を動かして巾着袋を作っていたそうです。

端切れの色柄の合わせ方の巧みさと丁寧な縫製からは、作り手の人柄が偲ばれます。そして、よく見ると端切れの生地の質が違っていることが分かります。中に生地が薄く織りが荒いガーゼのようなものが混じっているのは、戦況が厳しくなり、原料の調達が困難になってきたことから生地の質が低下したためだそうです。一つの袋から時代の変化を感じることができることに驚かされます。

かつて亘理で当たり前に行われていた一枚の端切れをも大切にする暮らし。それは、モノを作る人、使う人を大切にする日本人の生き方の象徴のように思えて、とても心を動かされました。そんな私を見て「そんなに気に入ったなら、こんな古いものだけど持っていてちょうだい」と、この巾着袋を譲りうけることができました。

一つの袋が語る物語。私なりのやり方でたくさんの人に伝えていきたいと思っています。

引地 恵